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2025年08月の記事は以下のとおりです。

機械式時計の復権に向かう試行錯誤の10年間

1969年、セイコーのクォーツ式腕時計アストロンの発表に端を発するクォーツ革命の打撃から立ち上がり、1980年代なかばに復活ののろしを上げたスイス時計業界。機械式時計の復権が徐々に現実味を帯び始めた1990年代は、まさに試行錯誤の時代であったという。当時の時計業界をよく知るNH WATCH代表の飛田直哉氏は、ブランドの立場からこう振り返る。
 「私がこの業界に入ったのが、ちょうど1990年。そこから5年間、日本デスコという代理店でセールスの仕事に従事していました。その頃の日本デスコでは、オーデマ ピゲ、ジャガー・ルクルト、エテルナ、モーリス・ラクロアのほか、ハイエンドなクロックなどを扱っていましたが、高級時計の購買層や売れ方も今とはだいぶ違っていて、100万円を超える時計が店頭に並ぶ機会はあまりなく、百貨店の外商で売られることがほとんどでした。当時、売り手も買い手も共通して思い浮かべる高級時計のイメージは、ダイヤモンドがぎっしり埋め込まれた18金の時計だったはずです。ロイヤル オークに関しては、日本ではステンレススティール×イエローゴールド製の小ぶりなクォーツモデルが好まれていました」
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 多くのメーカーが実直なものづくりだけでは時計製造の文化を守ることができない現実を目の当たりにして、各社が本格的に取り組んだのが、新たな経営スタイルやマーケティングの戦略だった。この話題を語るうえでの欠かすことのできない人物が、IWC、ジャガー・ルクルトを再建し、A.ランゲ&ゾーネを復興に導いたギュンター・ブリュームライン、のちにマーケティングの天才と評されるジャン-クロード・ビバーなど、時計をこよなく愛するカリスマたちだ。彼らが業界で頭角を現したことで高級時計の世界における経営戦略は様変わりした。このような流れと並行して日本の高級時計市場も年々成長を遂げ、世界有数のマーケットとして一目置かれるようになる。
 「1994年に日本シイベルへグナー(現DKSH ジャパン)に入社した頃、スイス時計業界は日本の市場を無視できない状況になっていて、さらには今の時代にもつながるヒット作が次々と誕生しました。たとえば、私たちがセールスを担当したブレゲ タイプXX アエロナバルのステンレススティールモデルは、1995年のバーゼルワールドでサンプルを見た途端、必ず売れると確信しました。この前後で、高級時計の古い慣習を打ち破る、いわゆるデカ厚時計の始祖となる時計がいくつか登場しています。振り返ると、90年代は“胎動の時代”だと言え、この時代に起きたさまざまな出来事が今日の高級時計ブームの礎になっているのだと実感できます」

飛躍的な発展を遂げた日本のヴィンテージ市場

 日本が世界有数の時計マーケットとして一目置かれるようになったその背景には、1980年代後半から90年代にかけて起きたヴィンテージウォッチブームがあった。1989年にケアーズを創業する数年前から、川瀬友和氏(現ケアーズ会長)はヴィンテージウォッチのディーラーとして、アメリカを奔走する日々を送っていた。

 「あの時代は英語も話せなければ、時計の情報すらあまりなくて、何もかもが手探り状態。カリフォルニア州のサイプレス、ローズボール、ニューポート・ビーチ、それから競馬場から大学と、フリーマーケットを回ると必ず時計が売られていました。すでにアメリカでは時計を収集することが趣味として広まっていて、ディーラー、コレクター、ブローカー間でのトレードが盛んでした。ただ残念なことに我々日本人はマイノリティな存在でしたから、仮にいい時計が並んでいたとしても相手にしてもらえないときもあり、そのなかで買える範囲の時計を楽しんでいました。ところが、時計専門誌『タイムスペック』を見ながら卸先の時計店を探していたところ、神田にある骨董館のなかに文明館があると知り(のちに青山のキラー通りに移転)、来店したのですが、これまで自分が見てきた時計とあまりにもレベルの差があったことは、相当なカルチャーショックでした」
 「ジム・クラウスという人物との出会いをきっかけに、私たちはハイクラスの時計を扱うショップへと一気に飛躍します。彼は特別なコネクションを持っていて、日本では見ることさえできなかったモデルの仕入れができるようになったからです。1990年代初頭、日本のヴィンテージ専門店でよく売れていたのは、戦後のアメリカで流行した角金と呼ばれる金張りの角型時計。市場が成長すると、オメガ シーマスターやチューダーの通称デカバラと呼ばれるロゴマークのモデルに人気が集中するようになりました。後者はリダン(書き直し)されたダイヤルが無数に出回っていたのですが、それらも含めて、とにかく売れていましたね」
 川瀬氏同様、日本におけるヴィンテージウォッチ黎明期を支えたジャックロード創業者・中山直人氏も思い出深い時計とともに当時を振り返る。

 「当時(1987年のショップオープン当初)は、ブローバなどの角金時計の取り扱いがメイン。アメリカで安く仕入れることができたので、相場よりかなり安く店頭に出せました。それから徐々にロレックスの比重が増えて、幅広いモデルを取りそろえるように。全般的に売れていたのですが、特に手巻きのオイスターデイト Ref.6694はかなりの数が売れたと思います。私も好きで何本も買い集めていた時計です」

 1990年代前半になると、ポール・ニューマンダイヤルの人気に火がついたことをきっかけにコスモグラフ デイトナにブームの兆しが見えて、このほかのプロフェッショナルモデルも注目を浴び始める。

 「話題の中心は、ポール・ニューマンダイヤル。扱い始めた頃は120万円前後で販売していて、今の相場と比べれば格安に感じるかもしれませんが、サブマリーナーなら20万円台で十分に買えましたし、当時のヴィンテージウォッチではトップクラスの値付けでした。それからしばらくして、おそらく雑誌の影響からヴィンテージ全般の勢いが一服して、現行モデルとの人気が逆転します。ちょうどこの時期、俳優の木村拓哉さんがドラマで着用したエクスプローラー Ref.14270の相場が2倍以上に上がって社会現象を巻き起こすほどのブームになりました」
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 1990年代のジャックロードの店頭では、ロレックス以外にもオメガ、タグ・ホイヤー、チューダーなどのブランドが売り上げを支えていた。

 「我々は商売ですから、買い付ける時計はより売れる可能性が高いアイテムを選ぶのが基本です。オメガやタグ・ホイヤーは、今とは売れるモデルやテイストが違っていました。たとえば、スピードマスターは今のような認知度はありませんでしたし、シーマスターのほうがはるかに人気がありました。チューダーの場合は、一部のロレックスのようなプレミアムがつくことはありませんでしたが、コンスタントに売れていた印象があります。全般的に言えることは、名の知れたブランドの時計を手に入れたい、あるいはファッションアイテムとして時計を楽しむという傾向が強かったと思います。大流行したスウォッチが、このニーズに沿うと感じられたので提案したことがあります。それとは逆に、よりマニアックな時計を求めていた年配の方に支持されていたのがパテック フィリップのRef.96。このモデルも根強い人気がありましたね」

 数に限りがあるヴィンテージウォッチの仕入れは、年を追うほどに難しくなる。そこをカバーするために、中山さんはトライ&エラーを繰り返しながら次のヒット商品を探し続けたという。

 「1993年に復興したパネライが日本に入ってきた当初はセールスが厳しかったのですが、2000年代に世界的に評価されて、あれよあれよという間にブレイクしたのを今でも覚えています。どの時代もそうですが、次に人気が出る時計を探すことは簡単ではありませんが、だからこそおもしろい。たらればの話になりますが、ロレックス エクスプローラーⅡのように、1990年代末から2000年代にかけて、今ほどは人気がなかったモデルで個人的に買っておけばよかったと思えるものがいくつもありますよ」

経年変化の差を明らかにすることで新たな価値が生まれる
 改めて1990年代の日本市場を俯瞰すると、この時代を象徴する時計として、ロレックスのプロフェッショナルモデルを外すことはできない。当時のブームが生まれるきっかけとなったコスモグラフ デイトナのポール・ニューマンダイヤルを筆頭に、90年代と今ではセカンダリーマーケットでの評価基準は驚くほど変化している。その道に明るいコミット銀座の執行役員 兼 鑑定士、金子 剛さんは見解を述べる。

 「ひと昔前ならヴィンテージ ロレックスであっても見るからにきれいな状態が人気があって、“トロピカルダイヤル”などの専門用語が飛び交うようになったのは、ここ数年のことです。1990年代に新品で販売されていた5桁のリファレンスも次世代のヴィンテージとして話題になってきはじめており、発売から20~30年近く経過していることから、当時にはなかった経年変化を楽しめる個体が見つかります。ほかにもコスモグラフ デイトナ Ref.16520のように、マニア間でのディテールの研究から評価基準の細分化が進んでいるモデルが増えています」
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 試行錯誤の連続だった1990年代は、同時に昨今の世界的な高級時計ブームの萌芽が見られる時代だった。インターネットの発展から情報共有のスピードが変わったことで世界は一変し、新興の富裕層や投機目的の客層が増えたことで市場規模はかつての数倍に膨れ上がり、いまや一部の時計はアート作品に近い所有価値を持っている。

 この結果が、1980年代に先人たちが思い描いた理想の未来なのかは分からないが、確実に言えることがある。それはかつてかつて日本で起きたヴィンテージウォッチブームが、世界でも最も厳しいといわれる日本のコレクターたちの審美眼を培ったということだ。前出の川瀬氏はこう語る。

 「(ヴィンテージウォッチブームの)当初は実用的かつ手ごろな値段で買えたことがあって、ロレックスのオイスターデイト Ref.6694が売れ筋でした。正常に作動しようとしまいとお構いなしに1本でも多く時計を集めることに熱中していたアメリカのコレクターに対して、日本ではあくまで実用品としてのヴィンテージウォッチが主流。ですから正常に作動しない時計だとクレームが出てしまうので、小売店では保証が付けられるようになったのです。当たり前のような話に聞こえるかもしれませんが、当時はそうではありませんでした」
 1990年代後半に差しかかると、マーケットが成熟していくにつれて、ヴィンテージウォッチの評価基準も変わり、市場から淘汰される時計が出始めた。これについて、氏は次のように述べる。

 「アメリカでは徐々に個体のオリジナリティが重視されるようになり始めて、リダンされたダイヤルの評価が下がり、買い取りになると二束三文。そうなると、日本でも店舗での取り扱いが厳しくなるわけです。単純に不人気であるという理由から今では忘れ去られてしまった時計もたくさんあります。1990年代は玉石混交のマーケットでしたが、極端なプレミアム価格では売られていなかったので好きな時計を選びやすかった。その意味でも純粋に時計を楽しみたい人たちにとっていい時代だったと思います。私もそのなかのひとりで、数々の素晴らしい時計と出合う機会に恵まれました」

日本のヴィンテージウォッチブームを支えた伝説的時計ディーラーたち

 日本を席巻したヴィンテージウォッチブームを支えた時計ディーラーのひとりに、故・益井俊雄氏がいる。その世界では知る人ぞ知る人物だが、時計愛好家といえども彼を知る人はそう多くない。そんな彼は2022年2月、人知れずこの世を去ってしまったが、彼の時計ディーラーとしての足跡を辿ることで日本のヴィンテージウォッチブームの様子がより明確に理解できる。
 1950年、島根県浜田市に生まれた益井氏。都内の大学を卒業後、いくつかの会社で仕事をするも、会社勤めが性に合わなかったという彼は、心機一転、貿易の仕事を志してアメリカ・ロサンゼルスに渡った。1981年2月のことだ。海外雑貨はまだまだ高価だったが、当時の日本では『ポパイ』などの雑誌がこぞって西海岸カルチャーを紹介していたころで、アメリカのファッションや雑貨に対する憧れが非常に強かったという。そこで彼が最初に思い立ったのが、フリーマーケットで古いミシンやタイプライターを仕入れて日本で売るという商売だったが、そこで出合ったというのがブローバの時計に象徴される、いわゆる“角金”と呼ばれるヴィンテージウォッチだ。当時、フリーマーケットにはブローバをはじめとするアメリカの時計ブランドが1930〜60年代にかけて製造したその手の時計が山ほどあったという。そこで益井氏は毎週末になると各地で開催されていたフリーマーケットを回り、この角金時計を買い集めた。
 「当時のフリーマーケットでは、箱付きの未使用品がまとまって見つかることも多かったんです。価格もすごく安くてね。そうやって古い角金時計を50本以上も買い集めました」 と、益井氏は以前の取材で語っていた。彼が帰国を果たしたのは、最初の渡米から3年半以上たった1985年のこと。このとき持ち込まれた多くの角金時計はあっという間に完売した。こうして益井氏はロサンゼルスを拠点に、時計ディーラーとして本格的に活動を始めた。ローズボールフリーマーケットをはじめ、ロングビーチ・アンティークマーケット、パサデナ・シティカレッジ・フリーマーケットなど、週末ごとに開催されているフリーマーケットを回りながら、角金時計を買い集めた。それらは平均で30ドルで仕入れることができオーバーホールには約30ドルかかったが、日本ではかかったコストの倍以上で売れたという。

 角金時計はいくらでも仕入れることができたが、ビジネスが大きくなってくると、より単価の高い時計が必要になるのが必然。しかしフリーマーケットには、ロレックスなどの高級時計はあまり売っていなかったという。一体どこに行けば、目当ての高級時計を買うことができるのか。そんな折に日本の時計ディーラーたちがたどり着いたのが、NAWCC(National Association of Watch &Clock Collector, Inc.)の存在だった。NAWCCは、1943年に時計師のL.D.ストールカップ(L.D.Stallcup)氏がニューヨークの時計学会でメンバーに声をかけたのをきっかけに発足した非営利団体である。当初は50の支部を持つ団体としてスタートしたが、現在までに52カ国で170の支部が設立され、2万1000人の会員を擁する一大組織に発展した。日本にも第9支部(東京)、第108支部(セントラル東京)、そして第131支部(大阪)と、3つの支部がある。NAWCCの会員になる最大のメリットは、会員制のショーに参加できることだ。本来は商談目的ではなかったが、そこには全米中からコレクターや時計ディーラーが参加しており、フリーマーケットでは目にしたことがないような時計や、時計のパーツなどが数多くそろっていたという。しかも価格が非常に安く、まるで宝の山のようだったと、益井氏はNAWCCのトレードショーの思い出をかつて語っていた。

夢中で全米中を駆け回った買いつけの日々
 NAWCCによるトレードショーは、さまざまな州で開催されており、だいたい3泊4日の日程で月2回ほどのペースで全米を回る。そこに出入りしていた日本人は益井氏だけではなかった。時を同じくして、そのトレードショーに出入りをしていたのが元シェルマン代表の磯貝吉秀氏、そして数々の珍しい時計を日本に紹介した仕掛け人といわれている藍川博喜氏(故人)だった。当初はそれぞれ面識はなかったそうだが、当時のNAWCCで日本人の存在は珍しく、彼らはすぐに顔見知りに。特に3人は同い年だったこともあって気が置けない友人として、よく一緒にフリーマーケットやトレードショーを回ったという。
 前出の磯貝氏はトレードショーの思い出を次のように語る。

 「益井さんたちとは本当によく一緒にいましたよ。ショーが始まる前にホテルのロビーで待ち伏せして、時計を見せてほしいとホテルに着いたばかりのディーラーに詰め寄っていち早くチェックしたりね。そうやっていい時計をショーの前に押さえることがよくありました。あるとき、フロリダ州オーランドにあるフロリダ ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの近くでショーが開催されたことがあったんですが、当然観光地ですから周りにはディズニー目当ての親子連れがたくさんいるんですよ。そんななかで、僕らだけでなく強面(こわもて)のおじさんたちが観光もせずにディーラーを捕まえて1日中ホテルのロビーに張りついて時計を見ているのが不思議だったのでしょう。“ママ、あのおじさんたちは何しているの?”と小さな子どもにけげんな顔をされたこともありました」

 基本的に、磯貝氏はパテック フィリップ、藍川氏はロレックスのバブルバック、そして益井氏はさまざまなブランドのクロノグラフや、ロレックスのプロフェッショナルウォッチ(スポーツモデル)などを商売にしており、それぞれ目当ての時計がうまい具合に異なったそうで、仲のいいディーラーはそれぞれの好みに応じた時計を見せてくれるようになったという。あのディーラーがこんな時計を持っていた、今日はこんな時計が買えたと心を弾ませながらヴィンテージウォッチを買いつけていたと、磯貝氏は当時を懐かしむ。
 前出の川瀬氏も益井氏をよく知るひとりだ。当時は旅行会社のツアーなどはなく、どうやってフリーマーケットに行けばいいのかすらわからない状況だったというが、川瀬氏はボロボロのレンタカーと分厚い地図を頼りになんとかアメリカのフリーマーケットに行くことに。
 「ローズボールのほかにもサイプレス、ニューボートビーチ、バーストーなど、いろいろなフリーマーケットに行きました。そこには必ず時計屋が出展していました。やったー! って意気揚々とお店に行くと、たくさんの時計が並んでいるなかで裏返しになっているものがいくつかあるんです。理由を尋ねると、“これはケンジがHoldしているんだ”って言うんですよ。それもひとつのお店だけじゃなく、行く先々で。“これはケンジのだ”と。“ケンジって誰なんだ? どういう人なんだろう?”と悔しい思いをしたことを覚えています」
 実はこの“ケンジ”を名乗る人物こそ益井氏だった。本名はトシオだが、アメリカではなじみにくい発音だったようで、彼はアメリカでケンジを名乗っていたのだ。行く先々で自分よりも先に目当ての時計を押さえている日本人がいる。その人に負けないように、必死になって自分もいい時計を買えるようになろうと奮い立たせてくれた人物であり、憧れの存在だったと川瀬氏は彼との思い出を話す。

 クォーツウォッチが全盛の時代にヴィンテージウォッチの持つユニークなデザインや、ムーブメントの美しさに価値をみいだし、日本に持ち込んだのが彼らをはじめとする時計ディーラーたちだった。そして磯貝氏や川瀬氏はフリーマーケットやトレードショーで山のようにあった時計のパーツも一緒に買いつけ、ヴィンテージウォッチに新品の時計と同じような修理保証をつけて実用品として売り出したのである。世界的にも極めて異例の試みだったが、こうした取り組みによってヴィンテージウォッチは日本で市民権を得ていくこととなった。
 バブル景気に沸いていた1980年代後半から90年代初頭の日本。その勢いのままに多くのヴィンテージウォッチが日本に持ち込まれた。ブームの当初は角金時計や、ロレックスのオイスターデイトが人気だったのは前述のとおり。ほかにもデイトジャスト、バブルバックなども人気だったが、サブマリーナーなどのダイバーズウォッチは当初、時計をガシガシ使いたい人がそれこそ本当に水に潜る目的で買うようなニッチな存在だったという。当時はリューズガードつきの高年式モデルのほうが価値が高く、今でこそリューズガードのない初期のサブマリーナーはコレクターズアイテムとして数千万円の価格で取引されることも珍しくないが、当初は単なる型落ちのサブマリーナーとして扱われ、800ドルほどで買えたらしい。夢のような時代である。
 

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ジュネーブウォッチグランプリ(GPHG)で入賞した時計のなかから、見逃しがちな4本を取り上げる。

本日は、ベルナルド・レデラー(Bernhard Lederer)氏による今年のクロノメトリー賞に注目する。この賞は、“優れた精密計時性能(特殊なエスケープメントまたは独特の調整装置)が際立ち、検査機関によって公式に認定(ISO 3159規格)された最優秀の時計”に与えられる特別賞だ。
1年ちょっと前、元同僚のローガン・ベイカーのすすめで、ウォッチタイム期間中にニューヨークを訪れていたベルナルド・レデラー氏に初めて会った。ベイカーが執筆したレデラーのセントラル インパルス クロノメーターに関する詳細な記事は魅力的だったが、当時の私には少し難しく感じたかもしれない。しかし、“レデラー氏に会えば有益な情報が得られるだけでなく、とても楽しめるはずだ”というベイカーの説得力ある言葉に背中を押され、会うことを決めた。予想どおり予定の1時間をはるかに超えて会話が続き、それ以来私はレデラー氏の時計に強く引かれるようになった。
 今日は、ジュネーブウォッチグランプリ(GPHG)でクロノメトリー賞を受賞した、セントラル インパルス クロノメーターの最新モデルである“トリプル サーティファイド オブザバトリークロノメーター”を取り上げる。しかしその前に、すべてがどこから始まったのかを振り返る。

私はレデラー氏が“確固たる信念を持つ”時計職人であることを知った。彼に、ほかの時計職人のムーブメントについて率直に尋ねれば、何がよくて何が悪いのかについて正直な意見をたっぷり教えてくれる。特定のムーブメントだけでなくその背後にあるコンセプト自体の欠点についても、レデラー氏が記事のなかで巧みに指摘している部分をベイカーの記事で読むことができる。たとえばナチュラル脱進機について、レデラー氏は脱進機の重量がゼロ(追加のエネルギーを必要としない)である場合にのみ本当に機能すると主張している。まあ、それはまた別の機会に詳しく話そう(前述の記事も参照)。
 レデラーの最新作を理解するためには、彼のオリジナルのセントラル インパルス クロノメーターを振り返る価値がある。しかし、それにはかなり深い専門知識が必要であり、この記事(そしてこの時計)は必ずしも万人向けではないことをご了承いただきたい。セントラル インパルス クロノメーターは、その名が示すとおりブレゲのナチュラル脱進機とジョージ・ダニエルズ(George Daniels)が開発した独立した、2輪のデュアルインパルス脱進機からインスピレーションを得た脱進機を搭載した高精度ムーブメントだ。このムーブメントはCal.9012で、基本モデルとほぼ同じ構造となっている。レデラー氏は今年初め、このムーブメントの小型版を39mmのCIC(セントラル インパルス クロノメーター)用に製作したが、今回のモデルでは大型化されたムーブメントを使用しており、下の写真のように44mmのケースに収められている。

 本作は4番車と5番車のあいだに配置される、ふたつのルモントワールを備えた二重輪列を特徴としている。これにより各エスケープホイールへのエネルギーとトルクが安定して供給され、より安定した動作と精度の向上を実現している。ルモントワールは時間差で動作するよう設計されており、それぞれが10秒ごとに作動しながら、交互に連動して5秒ごとに動力を解放する。この過程を経て、テンプに直接力が伝わる仕組みになっている。

 オリジナルのCICウォッチにはふたつの輪列があるため秒針が2本搭載され、それぞれが逆方向に動いていた。文字盤にはガンギ車や10秒ごとにルモントワールを巻き上げる役割を果たすルーローの三角形(数学や工学の分野で知られる特殊な図形のひとつ)が見える開口部が設けられていた。これはあくまで個人的な好みだが、私はこのデザイン要素があまり好きではなかった。今年初めに発表されたルノー・ティシエ “マンデー”というモデルもこの時計によく似たデザインだが、やはり私の好みには合わなかった。どちらも魅力的な技術を備えてはいるものの、私がこのような時計に求める、クラシックで深みのある魅力を感じることはできなかった。

 新作のレデラー トリプル サーティファイド オブザバトリークロノメーターは、美的にも大きな進化を遂げた、時計製造の魅力的な物語を語るモデルだ。残念ながらこの時計はGPHGの投票過程で予定よりも早く情報が漏れてしまった(ただし、タイムオンリー部門で最終選考に残っている)。だがそのリークがすぐに私の興味を引いた。今回の新作は、優れたムーブメントとドーム型ケースバックを継承しつつ、904Lステンレススティール製ケースを採用している。またデザインも刷新され、頑丈なスターリングシルバー製ダイヤルを備えたことで、44mm×12.2mmというサイズながらスポーティでカジュアルな印象を与え、より装着しやすくなった。これだけでもこのモデルをより魅力的なリリースにしているが、まずはムーブメントに焦点を当てたいため、デザインについてはのちほど触れる。


 この手巻きムーブメントは、ふたつの独立した輪列、ふたつのルモントワール・デガリテ、そしてナチュラル脱進機を搭載しており、時・分そして簡潔なシングルセコンド表示を備えている。レデラーは古典的なスイス時計製造のアプローチに対して、より現代的なムーブメントデザインと仕上げを採用しており、それが非常に効果的に機能している。特にケース内で縦横に広がるブリッジの角ばった形状は、この複雑なアイデアが斬新でモダンな解釈であることを力強く物語っている。このアイデアは長年にわたりさまざまな形で試みられてきたが、レデラー氏のアプローチは独特で洗練されている。


 CIC全体をとおして、この独特なケース構造は私のお気に入りの特徴のひとつだ。ミドルケースのエッジを部分的に切り取ることで、レデラーはムーブメントをさまざまな角度から鑑賞できるようにしている。また裏蓋はネジではなく接着剤で固定されており、そのため修理が難しくなっているように思う。ただレデラーのチーム以外でこの時計を修理してくれる人がいるとは思えない。



 ムーブメントには、限定8本のトリプル サーティファイド オブザバトリークロノメーターのみに刻まれる黄金のコンパスローズが施されている。そのほかの部分にも、美しい面取りやポリッシュ仕上げ、つや消し加工が施されているが、このような時計を選ぶ理由は仕上げの美しさよりも、そのクロノメトリー性能にあると私は思う。


 文字盤側に目を戻すと、ひとつのインダイヤルの内側に経度と緯度の3つの座標が刻まれていることに気づくだろう。この背景には、オリジナルのCICにまつわる物語がある。初期のころ、レデラー氏はスイスの法的要件である公式認定を受けていないにもかかわらず、自身の時計を“クロノメーター”と呼んだことで批判を受けた。しかし、彼がこの時計をクロノメーターと主張するには、それなりの理由があった。採用された脱進機の技術的特性や、彼自身のテストで精度基準を満たしていたことなどが挙げられる。ただしこの時計のテストは非常に難しかった。ダブル輪列と4つのルモントワールを備えた構造のため、ほとんどの標準的なテスト装置では正確に測定することができなかったからだ。
 この課題をいちど解決したあと、レデラー氏は新作ウォッチのテストをさらに高い次元へ引き上げることを決意した。フランスのブザンソン、ドイツのグラスヒュッテ、そしてスイスのジュネーブにあるクロノメトリー検定所(Observatoire Chronométrique)でそれぞれの時計をテストしたのだ。各時計には、これら3カ所の検定所から発行されるテスト証明書が添付されており、レデラー氏がこのプロジェクトに込めた自信がさらに裏付けられている。当初の計画ではこれらの地名をすべて文字盤に記載する予定だったが、グラスヒュッテという名称は保護対象であり、その計画が問題を招く可能性があると指摘を受けた。結果として、この方法は彼の業績を控えめかつ洗練された形で誇示することとなった。

 よりシンプルで視認性の高い針のデザインなど、ほかにも素晴らしいディテールや改良が施されている。針は美しい青焼きが施された2ピース構造で、手作業で曲げられている。ただこれらのデザインにも細かな工夫が込められている。分針の内側にはポインターがあり、6つの目盛りで構成された特別なスケールを指し示す。この目盛りはそれぞれ10秒間隔を表しており、ルモントワールの機構によって針は10秒ごとに動き、そのスケールに正確に一致する。

 レデラーの卓越した時計技術はそのままにデザイン面での一貫性が増し、ブランドの魅力が高まっている。だが新作のトリプル サーティファイド オブザバトリークロノメーターは限定8本のみの製造で、価格は14万6000スイスフラン(日本円で約2460万円)と高額だ。レデラー氏は“ゆっくり、着実に”を信条としており、この新作が彼の数十年にわたる経験を基にした新たな世代のレデラーウォッチの幕開けとなることを期待している。

ORIGINのDNAをモノトーンに昇華、早くも次の5000系モデルがG-SHOCKから発表された。

同モデルはこれまで明確にDW-5000Cの“復刻”に位置付けられたモデルがなかったために、センセーショナルな驚きを持って迎えられた。しかも、限定ではなく“待てば買える”レギュラーモデルとしての展開だ。G-SHOCKにおける5000系とは何か? という定義を示すアイコン的存在が常に店頭に並んでいるというのはG-SHOCKマニアのみならず、初心者にとっても意義深いことだ。現在はまだ在庫が入ってきてもすぐに売れてしまう状況であり、僕もまだ手にできていない(年末年始は原宿と丸の内の直営店を往復していた)のだが、G-SHOCKのファンであるならば1本手元に置いておいて間違いないモデルだろう。

スーパーコピー 代引きその興奮冷めやらぬなかではあるが、早速5000系に属する新作がカシオから発表された。それがこのGW-5000HSである。

GW-5000HSはブラックとホワイトで対となる、モノトーンカラーを5000に落とし込んだ新作だ。なおDW-5000C直系ではなく、厳密にいうと電波ソーラーの搭載により高機能化を果たした2009年のGW-5000の進化版にあたる。そのため、ベゼルはDW-5000Rに見られたフラットなものではなく上下に凸があり、液晶の表示もGW-5000を想起させる。しかし、液晶周りのあしらいはGW-5000からグッとORIGINを意識しており(特にSHOCK RESISTマークの位置は特徴的だ)、本作が初代にオマージュを捧げたモデルであることを物語っている。

また、液晶のガラスに“JAPAN”の文字こそないものの、初代G-SHOCKを生み出したマザーファクトリー・山形カシオで製造を行っており、DW-5000R同様にルーツに忠実な仕様とした。モジュールをカバーするインナーケースもステンレススティールを採用しており、裏蓋も過去の5000系同様にスクリューバックを採用。加えて、ベゼル・バンドなどの主な樹脂パーツには環境負荷低減を掲げる昨今のカシオらしくバイオマスプラスチックを使用した。ちなみにスマートフォン連携は行えないが、タフソーラー、標準電波受信機能の搭載により利便性も十分だ。

山形県東根市にある山形カシオの工場。MR-G、オシアナスなどを手がけるハイエンド専用ライン、プレミアムプロダクションライン(PPL)を擁する。

発売は2025年2月で、ブラック、ホワイトともに4万6200円(税込)での販売を予定している。

ファースト・インプレッション
DW-5000Rのように印象的な赤・黄・青のアクセントが効いたORIGINらしいモデルにもやはり引かれる。しかし日常使いという意味では、モノトーンの潔い配色はファッション的にも取り入れやすいだろう。もちろん、近しいフォルムを持つ5600にも過去にモノトーンのモデルはあったかと思うが、メタルのインナーケースとスクリューバックを持ち、シンプルに時計としてのクオリティも高い5000でこのカラーリングを手にできるというのはありがたい。特にホワイトは斬新だ。これまでブラック基調の重厚なモデルが主軸だった5000において、まったく新しい選択肢となっている。非常に軽やかな印象ながら、手首に乗せるとずしりとした重みを感じるのは少し不思議な感覚だった。しかしこの重みが、インナーケースに樹脂を用いた5600とは明確に異なる存在であることを主張しているようでもある。

カシオの担当者に話を聞いたところ、GW-5000HSは「5000をモノトーンでも楽しみたい」という海外ユーザーの声を参考に開発したモデルだという。(ほぼ見た目も同じで価格も安い)5600ではなく5000を求めるというのは、G-SHOCKの歴史を理解し、時計としての作りのよさに納得できる時計マニアにほかならないと僕は思っていた。そしてそのような声が日本ではなく、海外から挙がってきたというのは少々驚きだったのだ。しかしこの記事でタンタンが語っているように、GW-5000Uなど5000系に属するスクリューバックモデルは米国市場でもカルト的な人気を誇っていたという。G-SHOCKはそもそも日本ではなく海外で火がつき、逆輸入的にブームを巻き起こしたブランドだ。僕らが思っている以上にコアなファンが海外には多いのかもしれないと、GW-5000HSをとおして改めて思った。

そして個人的には、この短期間で5000系に属するモデルが立て続けにリリースされた点に注目したい。フラッグシップとも言えるDW-5000Rが登場したことで、5000の扱いが今後どのように変わっていくのか。関係者への取材をとおして、明らかにしていこうと思う。

基本情報
ブランド: G-SHOCK
型番: GW-5000HS-1JF/GW-5000HS-7JF

直径: 42.8mm
厚さ: 13.5mm
ケース素材: バイオマスプラスチック、インナーケースはSS製
文字盤色: ブラック
夜光: フルオートLEDバックライト(スーパーイルミネーター)
防水性能: 20気圧
ストラップ/ブレスレット:バイオマスプラスチック
追加情報: タフソーラー、標準電波受信機能(マルチバンド6)、ワールドタイム5本(48都市)、100分の1秒ストップウォッチ、タイマー、時刻アラーム5本

ルイ・ヴィトン新作スニーカー「LV バターソフト」が登場。

2025年7月10日(木)より、ルイ・ヴィトン ストアほかにて発売される。

なめらかレザーのスニーカー「LV バターソフト」
「LV バターソフト」192,500円
ルイヴィトン コピー新作スニーカー「LV バターソフト」は、まるでバターのようになめらかなソフトレザーを使用していることからその名が付けられた。スニーカーが日常のファッションアイテムとして定着し始めた1960年代のモデルにインスパイアされた1足で、ヴィンテージライクなデザインが特徴だ。

 

LV バターソフト スニーカー 192,500円
しなやかなレザーとパッド入りのアッパーが、ランニングシューズのように柔らかで快適な履き心地を実現。

ルイ・ヴィトンを象徴するディテール
バターソフト スニーカー 231,000円
アッパーのサイドにはLV ロゴ、シュータンにはクリエイティブ・ディレクターであるファレル・ウィリアムスの顔をモチーフにした「Phriendship」をデザインした。

多彩なカラーを展開
「LV バターソフト」192,500円
カラーは、ホワイトやブラック、ベージュなどの日常使いしやすいラインナップのほか、パステルピンク、鮮やかなオレンジなど、バリエーション豊富に展開。アイコニックなモノグラム・パターンをあしらったデザインもラインナップする。

詳細
「LV バターソフト」192,500円~231,000円
発売日:2025年7月10日(木)
展開:ルイ・ヴィトン ストア、ルイ・ヴィトン 公式オンラインストア
※6月29日(日)まで、ルイ・ヴィトンの公式サイトおよびアプリ、クライアントサービスにてホワイトのみ先行予約を受付。

【問い合わせ先】
ルイ・ヴィトン クライアントサービス
TEL:0120-00-1854

アウトドローモがMobil 1、新たな限定モデルが登場した。

アウトドローモは、初期にてがけたデザインのひとつであるモノポストを特別な経緯で復活させた。モノポストの初代モデルは、アウトドローモ創設者のブラッドリー・プライス(Bradley Price)氏が第2作目として取り組んだ機械式時計のデザインから2012年11月に誕生した。このモデルはプライス氏が抱くモータースポーツへの情熱から生まれたもので、1950年代のシングルシーターカテゴリのグランプリカー、その計器にオマージュを示したデザインが特徴だ。特に赤く塗られたエリアがその象徴的なディテールとなっている。初代モデルは2色展開で各250本が生産され、即座に完売した。この成功により、アウトドローモは時計ブランドとしての地位を確立することとなったのである。2017年にはモノポストをクロノグラフとして再設計したものの、それ以降このシリーズは休眠状態に入った。

それから12年以上の時を経た現在、モノポスト Mobile 1 エディションとして3針モデルとして復活を果たした。Mobil 1 レーシングチームとのパートナーシップのもと、合成エンジンオイルMobil 1の50周年を記念した限定モデルである。直径43mmのステンレススティール(SS)ケース(金メッキ版も用意)という外観は初代モデルと共通だが、それ以外には多くの改良が加えられている。

 直径が大きい点に少々抵抗を感じるかもしれない(まあ理解できる)が、今回のモデルではケースの厚さが初代の11.98mmから10.8mmにスリム化されており、ワイヤーラグが手首によりフィットしやすくなったことを期待したい。また初代モデルで採用されていたミネラルクリスタルは、より高品質なサファイアクリスタルに変更されている。この点は、大振りな風防のサイズを考慮すれば必須の改良といえる。内部には従来のCal.821Aに代わり、ミヨタのCal.9039が搭載されており、デイトを排した仕様となっている。

今回最大の変更点は、新たに採用された光沢のあるホワイトダイヤルだ。一部の文字表記やフォントは若干アップデートされ、クロノグラフ版からの要素が取り入れられているが、この時計最大の魅力は6時位置のすぐ上に配された赤いペガサスのロゴにある。これはMobil 1のレーシングスピリットとブランドアイデンティティを象徴する、ひと目でそれとわかるシグネチャーデザインである。また風防からはレッドラインが削除されており、同要素をガラスの一部に塗装していた従来のモノポストとは異なる仕様となっている。さらにMobil 1のカラースキームを反映し、時刻表示の文字やスケルトン仕様の針はダークブルーで仕上げられ、秒針は赤いペガサスのロゴと同じカラーとなっている。
 モノポスト Mobile 1 エディションは合計150本の限定生産で、そのうち100本がSSケース、50本が金メッキを施したSSケースとなる。SS版の販売価格は875ドル(日本円で約13万6000円)、金メッキ版は950ドル(日本円で約14万8000円)。各モデルにはシリアルナンバーが刻印され、対応する番号が入ったコレクターズボックスとともに提供される。

我々の考え
現在のアウトドローモを知る人の多くは、おそらくグループBモデルをきっかけにブランドを知ったのではないだろうか。それが同ブランドにおける代表的なヒット作であることは間違いない。しかし個人的にはあまり話題にならないアウトドローモのデザインも好きで、特にモノポストはその筆頭だ。昨年、初代モノポストを試す機会があったが、サイズが大きいとはいえ楽しめる1本だった。

自分の手首には合わないが、遠くから眺めるには実に魅力的な時計だ。とはいえ手首の大きい人や、あえてオーバーサイズの時計をつけてドライブしたい人にはぴったりの1本だろう。今回の新バージョンがどのような仕上がりになっているのか、実際に手に取って試してみたい。薄型ケースへの変更が着用感にどれほどの影響を与えているのか気になるところだ。ただし大径ケースの時計は、厚みを抑えることでかえって大きく見えてしまうこともある。

デザインの面では、Mobil 1 エディションで施された変更点を高く評価したい。2017年のクロノグラフ版から採用されたダイヤルのフォントを取り入れたのは正解だろう。3針のモノポストに落とし込んだことで、全体的にすっきりと洗練された印象になった。ダイヤルに過度な装飾を施さなかったことで赤いペガサスが際立ち、それこそがこのモデルの狙いなのだと思う。モノポストの復活をこのパートナーシップの発表の場として活用したのは、実に粋な演出だ。


そして何よりもこのモデルの素晴らしい点は、モノポストが単なるモータースポーツへのオマージュではなく、Mobil 1と公式にコラボレーションした時計になったことである。アウトドローモのようなブランドからすると、これは創設者ブラッドリー・プライス氏にとっても大きな出来事だろう。クラシックなモータースポーツに精通しているわけではない自分でさえ、赤いペガサスのロゴが持つアイコニックな存在感は理解している。モータースポーツ業界で名を馳せるMobil 1が、一般的にはまだニッチな存在であるアウトドローモとのパートナーシップを組んだことは、まさに夢のような展開ではないか。この限定モデルはアウトドローモの熱心なコレクターやモータースポーツ愛好家にとって、ぜひ手に入れたい1本になることだろう。

基本情報
ブランド: アウトドローモ
モデル名: モノポスト Mobile 1 エディション

直径: 43mm
厚さ: 10.8mm
ケース素材: SS/金メッキを施したSS
文字盤色: 光沢のある白
インデックス: プリント
夜光: なし
防水性能: 50m
ストラップ/ブレスレット: イタリア製バッファローレザー、ブルー(SS製モデル)/ブラック(金メッキを施したSS製モデル)

ムーブメント情報
キャリバー: ミヨタ 9039
機能: 時・分・秒表示
パワーリザーブ: 42時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 24

ユーティリティ

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